芸術の秋に思ったこと

小学生の息子が夏休みに作って学校に持って行ったオブジェが何かの賞に選ばれてAZ七日町に飾ってあるとのことで見に行ってきました。いろんな作品が並んでいます。子供たちの純粋な絵やオブジェ。芸術の秋ですよ。でも、最近の小学生の夏休みの工作や宿題とかってプロ化してるんだそうですよ。親の関与が相当大きい(ほとんど?)「賞獲り狙い」的なものも多いんだそうです。マジか?とグーグル先生に聞いてみたらそういう系のサイトが多数ヒットしました(苦笑) 小学生の夏休みの工作や宿題受賞コツって(呆れ)…そこまでして「賞」が欲しいんですかね? 姑息というか、こういうのを見て作らせて「賞」をとったとして嬉しいんですかね!? 親も親だけどこんな教育を受けて育った子供はロクなオトナにならないと思うんですけど。

芸術とちょっと違うかもしれませんが、モノをつくるといういうことで、自分はゲームデザイナーとして10年以上ゼロからモノ作りをしていました。でも、会社の意向、営業サイドの都合、制作費や納期の制約、法律順守などいろいろあって、必ずどこかで妥協しなければならず、本当に自分がつくりたいもの、したいこと100%を形にしたことがありません。(その中でも妥協点はできるだけ高い位置でというのは常に意識していましたが...) そういうことを考えると、いつも思うんですが、絵や物をクリエイトして報酬抜きの純粋な表現ができる= 芸術だとしたら、それができるのは煩悩や制約がない子供のうちだけの特権ような気がします。

余談になりますが、街の文化的なイベントを見ていても、師匠や教授に気に入られたいとか、メディア受けを狙ったような作風のゲージュツが多いなぁと、素人目ながらそう感じます,毒毒(笑)

と書いていていま思い出した話…。自分の祖父は書道の会派の会長だか何か、展覧会の審査をするようなその道ではわりと有名な人みたいでした。亡くなったときの葬式も書道のなんちゃら会が会葬で盛大にやってくれてました。子供のころ、そんな祖父に会いにお正月に行くと、弟子が次々と挨拶にきます。で、まったく関係のない自分にお年玉をくれるのです。そっか、彼らもまた賞が欲しかったんだな。今思えば師匠(審査員)のご機嫌取り(ワイロの一種)ですね。

ずらずらと書いてきて、何がいいたいか、と言うと、チッポケな価値観を優先して自分を殺して何かを得るより、何かを得られなくても、自分の正直なキモチを大事にした表現や生き方をするほうがいいな、ということです。

では芸術の秋ですのでボクからも最後に一句。

"ごますりで 入賞するのも 芸のうち!"(^_-)-☆


2016/9/20